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小さな巨人

ebisawatakeshi

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 本棚の奥から探しだして、久しぶりに旧約聖書の「士師記」を読みました。

 なんで「士師記」を読んだのか、私が司法書“士”で、講“師”だからでしょうか。

 違います。

 少し前に、電車の中でテレビドラマの宣伝を見かけました。
 「小さな巨人」
 こういう表現の趣旨は分かるのですが、表面的には形容矛盾ではないか。

 「四角い円盤」「木製の鉄塔」…。

 実は、ちょっと気になっていたのですが、“縦書き(2017-01-05)”のタイトルでお伝えしたブログの写真のところに「小さなサムソン」と書きました。そうこれも形容矛盾じゃないかなと。
 そこで、「小さな巨人」を見かけたのを契機に、旧約聖書を引っ張り出した次第です。
 安心しました。怪力の持ち主だから大男であることが当然の前提なのかもしれませんが、大きな身体であることが明記はされていませんでした。

 サムソンといえば、デリラですね。
 “サムソンとデリラ”を題材とした絵画は多数ありますが、私はなんと言ってもルーベンスのそれが好きです。
170523 小さな巨人【画像】
 (ピーテル・パウル・ルーベンス)

 裏切ってもなお、その相手の背中に置いているデリラの左手。
 無防備に眠りこけ、デリラのお腹に触れているサムソンの右手。
 裏切り、裏切られても、二人の間には確かに互いへの想いはあったのだと。
 この右手に残る温もりが、背中に残る感触があったからこそ、サムソンはその後の酷い仕打ちに耐え、まさにサムソンらしい最後を遂げられたのだと思いたい。
 デリラのその後の人生は、どうなったのだろう。
 もちろん聖書には触れられていません。時々はサムソンの事を思い出したのだろうか。後悔はしなかったのか。
 ルーベンスの絵をみると、いなくてもいいような老婆がデリラの後ろに、デリラと同じような角度で描かれています。もしかしたら画家は、年老いたデリラの姿を描いたものではないのか、そんな想像力を刺激する一枚です。

 “サムソンすなわちその家の倚(より)てたつところの両箇(ふたつ)の中柱のひとつを右の手ひとつを左の手にかかえて身をこれによせたりしが
 サムソン我はペリシテ人とともに死なんといひて力をきはめて身をかがめたれば…“
 (士師記 第16章29節、30節)


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